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『遺言。』を読みました

『遺言。』を読みました

一昨日(2021年5月9日)養老ようろう孟司たけしさんの『遺言。』という本を読みました。下松くだまつ市立図書館の蔵書です。

養老孟司さんと言えば、2003年のミリオンセラー『バカの壁』で有名です。今回読んだ『遺言。』は、養老さんが東京大学医学部解剖学教室の教授だったときの助手の布施ふせ英利ひでとさんが書かれた『養老孟司入門―脳・からだ・ヒトを解剖する』で取り上げてあったので、派生的に読んでみました。

養老さんはクルーズ船での船旅ふなたび中にこの本を書いたそうです。「遺言ゆいごん」とは言っても、内容は出版当時80歳の養老さんがそれまでの思索を総まとめしたものになっています。

印象に残ったのは、動物には人間の言葉がどのように聞こえるかとか、言葉の意味はどこで作られるかとかの話題です。同じような内容が英語の大学入試問題でも出てきます。

例えば、動物のコミュニケーションと人間の言語によるコミュニケーションはどういう違いがあるのか。入試問題の本文によれば、人間は言葉を使って過去や未来が語れるが、動物にはそれができない、らしいです。『遺言。』では、詳細は省略しますが、別の観点から論じてあります。

また、言葉の意味は大脳で作られますが、よく考えると「犬」という文字を見て、動物の犬を思い浮かべることができるのは不思議です。この漢字を知らない人にとっては、単に黒いシミなんでしょうが…。

さらに言えば、同じ「犬」でも人によって思い浮かべる犬が全く違うのに、それでもコミュニケーションが成り立つのが不思議です。「犬」はいろいろな人が思い浮かべる犬の特徴をごちゃまぜにして平均したものなのでしょうか(笑)。

「犬」ですらこんな状態です。「正義」などというとらえようのない概念なぞ、自分でも意味がふわふわしているのに、他人との共通理解は本当に図れるのか、いよいよ悩みます。

母語である日本語でもこんな状態なのに、外国語の英語だったら、相手に意思は通じない前提で最善を尽くすしかないような気もしています(笑)。

てなことを『遺言。』を読んで考えました。